私たちのことを少しだけ その12011年09月03日 01時01分

勉強しようよ!という呼びかけで、小中学生の子どもたちと将来の夢を一緒に追いかけながら歩んできました。私たちは宮城県の南端に近い角田市で学習塾を営んでいます。今年の3月までは「学習ゼミ角田教室」として20年間、4月からは「まなびの森」としてどこまで行けるか?日々奮闘中です。

勉強しなければ開かない未来の扉がある
勉強すればかなえられる将来の夢がある
だから勉強しようよ!

「勉強しようよ」という呼びかけに込めた思いは山ほどあります。
こつこつと努力を積み重ねて、見違えるほど高い目標を実現した女の子
絶望の渕から踏みとどまって、あっちの世界に進まずに成長した男子
大学に合格できたけれども、学資を賄えなく涙を飲んだ子
1日中勉強し続ける定期試験前の高校生たち
地域医療を志して、ようやく医学部に合格できた男子
地域の小学校、中学校で教職に就いた先輩達も随分増えてきました。

この地域の子どもたちはね!スタートから不利な戦いを強いられてます。都市部に較べて普通科高校の定員が少ないこと、交通機関の利便が良くないこと、そもそも学ぶことに不熱心な地域性などなど。あれほどたくさんの大学を抱える仙台に自宅から地域でありながら、全国平均より20%下回る大学進学率、全県よりも5教科合計で30点は低い模試の平均点。それでも子どもたちが生まれながらに持っている素質や可能性を信じているから、勉強しようよと呼びかけます。間に合わないかもしれないが、行けるところまで 頑張ってみようと呼びかけます。私たち自身も学び続ける者だから、一緒に勉強しようよと呼びかけます。

いつかこの地で医療を継ぐ者が必要です。教師として子どもたちを育てる者も必要です。行政の場で地域のために力を注ぐ者も必要です。事業を興し雇用を担う者も必要です。 だから私たちは目の前の子どもたちを育てることに真剣にならなきゃならない。地域社会の再生産ということを考え続けています。子どもが育たない地域に未来はないのです。

東日本大震災の後、家族の食糧確保に奔走しながら、自分にできることを見つめ直す時期がありました。ようやくネット環境が回復したときに、すでに教室を再開している同業の先輩がいました。被災した子どもたちのために本を集め始めた先輩もいました。自分にしかできないことは目の前にありました。教室を開き、子どもたちにまなびの場を用意することでした。