畑の主様 ― 2012年05月25日 22時10分
3年前から畑を借りて、ブルーベリー、ラズベリー、ブラックベリー、ルバーブ等のジャム原料、それから季節の野菜類を作っています。この畑にはキジの主様が居られて、それは色鮮やかな立派な立ち姿なのですが、主様なので威風堂々人を怖れません。ふと、後ろを振り返ると歩いていたりします。
ご近影をご覧下さい。
アウトバック23万キロ ― 2012年05月22日 20時14分
3月末からこれまでのところ、文書作成に追われてこのブログの更新も滞っていました。
その間も愛車アウトバックは走り続け23万キロを超えています。
大河原→仙台→山元→角田→大河原→角田 のような移動も頻繁にあるので
距離はどんどん重なります。
どんぐりという名のリス ― 2012年04月22日 23時33分
南相馬に帰った彼女 ― 2012年04月22日 12時27分
いろいろと、本当にいろいろと進めることが多くて、ここの更新も久しぶりです。
震災とそれに続く原発の事故から逃れるため、
角田には沿岸部から多くの家庭が移り住みました。
彼女がまなびの森の教室を訪ねてきたのは夏期講習前でした。
いつもどおりの受付面接をして、勉強を始めました。
南相馬から引っ越してきたことを話してくれたのは、
一緒に教室に通うことになった、小学生の妹でした。
「地震の後に南相馬から転校してきたんだ。」
ご家庭にお手紙を書き、
支援活動のためにいただいた助成金を充当することとし、
授業料は頂かないことを伝えました。
被災を声高に訴える人は一握りで、ほとんどの方は慎ましやかに堪えているのです。
妹の一言が無ければ気付くことは無かったでしょう。
名簿にいただいた住所は、角田市内のものでしたから。
ゼミのグループに入り最初は言葉数も少なかった様子は、
今となっては思い出せないほど、みんなと打ち解け楽しげに過ごしていました。
4月を期に、彼女の家庭は南相馬に帰還しました。
「夏期講習のとき、またまなびの森に来たい。」と言い残してくれました。
故郷を離れる悲しみ、
一緒に中学に進むはずだった友達との別れ、
故郷に戻れる喜びと不安、
避難先で新しくできた友達との別れ、
彼女たち姉妹がこの1年で経験したこと、胸の奥にある言葉にならない感情
それらを思いながらこの先の活動を続けます。
本当は、君が角田の陸上競技場のトラックを走る姿を見たかったです。
勝俣さん、清水さん、
あなた方の会社が引き起こした事故は、
子どもたちの心の中にも深い悲しみを残しています
。
あなた方にもお孫さんがいらっしゃるでしょう?
金銭では測れないものです。
すべて受け止めていたら、あなた達自身の心も張り裂けてしまうでしょう。
だから「自分たちは悪くない」と信じこむしかないのも分からないでもない。
それでも知ってほしいと思います。
被災地の中学生達に残るダメージ ― 2012年03月22日 23時23分
震災からの1年。
公立高校に進めない受験生が、
津波のダメージが甚大だった沿岸地域に集中することを危惧して、
山元町の子どもたちの学習支援に取り組んできた半年間でした。
「もっと子どもたちの近くへ」を
仮設住宅に移動教室を開き、中学校の放課後教室や講習会の運営も実施しました。
受験直前には角田の教室にたくさんの受験生を送迎して受験に挑みました。
坂元中学校からいただいた結果を見ると
ほとんどの中学3年生が、8月の模試で示していた志望高校に合格しました。
今年度に関しては、目指していた成果を得られたのではないかと思います。
中学3年生の指導が一段落したところで、
次は1年生・2年生の勉強を手伝うことになりました。
これまでの
ところ、震災のダメージは大きい感触です。
震災のために、学習環境が整わなかった時期は、全学年の復習をしたり、
新しい学習内容の導入段階であったりします。
本来は時間をかけて学力の土台部分を学年全体で整える時期でした。
来週から、まなびの森は山下中学校と坂元中学校で春期講習を実施します。
子どもたちの学習状況を把握し、これから先の課題を抽出する期間になるでしょう。
ひょっとしたら思い過ごしかもしれませんが、
被災地域の子どもたちの危機は、これから顕在化するのではないでしょうか。
学習支援に取り組んでいる団体、個人の方々とぜひ情報を共有したいと思います。
ご一方お待ちしております。