本日第6回新みやぎ模試終了2011年12月05日 00時13分

本日、角田のオークプラザ 大河原のオーガ 2会場で実施した新みやぎ模試。
両会場で約80名強の受験生が参加して、無事に終了しました。

試験結果がお手元に届くまで2週間ほどお待ちください。
同時に、次回の実施、中学3年生は1月8日 中1 ・中2は1月9日に実施します。
12月中に申し込みの連絡をお寄せください。
特に、大河原の会場は50名が


東京へ2011年12月12日 21時04分

仕事として上京する機会があろうとは、震災以前は想像もしていませんでした。

今日は7時の新幹線で東京へ、
文部科学省に提出する応募書類の締切りが今日で、
書類が完成したのが今朝方だったので直接届けに行きました。
いつもながら、ギリギリにならないと書類が完成しないスローハンドに自己嫌悪です。

もしも応募が通ったらここでお知らせします。

先週はこの書類をまとめるため、山元町内の中学校を周り、行政にも報告をし、
仮設住宅のみなさんには署名もお願いし、などなど走りまわっていました。
ご協力をいただいた方々には本当に感謝です。

手元には11月に実施した新みやぎ模試の集計データが有ります。
山元町内の中学生の2/3 が受験しています。
山元町は仙台南学区に含まれていたので、殆どの子は旧南学区内の高校を志望します。
第一回目の予備調査の倍率を割り当てると、
50%の中学3年生が1.5倍以上の高校を志望しています。
判定の状況は、C判定とD判定が30%
県平均と会場平均の乖離は大きいです。データは非好評です。

このデータをまとめて、私は戦慄を覚えました。
旧仙台南学区の高校は押し並べて倍率が高いので 、不合格になる受験生は確実にいます。
今年度は、震災のために授業開始が遅れ、住宅事情が悪化した地域 
津波の被害が大きかった地域に公立高校の不合格者が集中する可能性が有ります。

ここ一週間、私が抱いた危機感を多くの方に資料を示しながら伝えてきました。
被災地の学習支援に、短期と長期で視点を分ける必要があって、
受験生に対するサポートは特に緊急性が高いことを訴えました。

反応は様々でした。共感を寄せてくれる方も多かったのですが、
一方で、もともと平均的な学力が低い地域なのでは、という声も聞きました。
(学力の地域格差が存在し、固定化していることを是認するんですね?)

そうだとしても、被災した地域の学習機会の喪失は事実です。
志望高校を断念する子もいるでしょうし、公立高校に進めない子も出るでしょう。
苦境にあるこの子たちを、見ぬふり、知らぬふりでやり過ごすことはできません。
「塾屋」として関わる以上、仕事として結果を追求します。


旅立ち2011年12月14日 00時58分

小6の女子が今日教室を旅立ちました。

まなびの森で過ごした時間を、いつか思い出すことがあれば、
また角田に来るチャンスができたときは教室を訪ねてください。
君を支えてくれる方々を大切にね。

三上先生 Yは栃木に旅立ちます。
背もぐんと伸びて、私は追い越されてしまいました。
背だけでなく、心も学びも真っ直ぐ成長しています。
先生から託されたバトンを、次はどなたに渡したらよいでしょう。
ご覧になられたら、ご教示下さい。

Rのこと2011年12月14日 10時13分

何年前になるのでしょうか。
教室に通った期間は半年弱だったので、苗字は思い出せないのですが、
彼が教室でたどった軌跡をふと思い出したので、忘れぬうちに記しておきます。

彼、Rが教室を訪ねてきたのは高校受験まで残り期間半年を切る頃でした。
面談の間もうつむたまま。自分から声を発することはなかった。
状況を尋ねると、本人ではなくお母さんから返事が有りました。
学校の実力試験の点数が思わしくないこと、私立高校には通わせられないので
なんとか公立高校に進学してほしいことなどでした。

「それじゃ、少し確かめてみようか!」と声をかけ
正負の計算、文字式の計算、方程式など 数学の出来具合を探るべく問題を作り
「できるものだけでいいから、書いてみて」と話しかけました。
動かぬ手、かすかに肩が震えたかと思いまいす。
「それじゃ、少し問題変えてみるからさ」
正の数の足し算、分数の加減乗除、小数の計算 アルファベットの小文字 などなど
ようやく少し手が動き始めました。

結論から言うと、分数はわからない 引き算は不安定、アルファベットも不安定
中学の数学は正負の計算が怪しいので以下全滅。

「お母さん、こんな状態になるまでどうして何も手を打ってこなかったんですか?」
という言葉は飲み込みました。
幸いにしてその頃には、
その言葉を飲み込むことができる程度には経験を積めていました。

彼が育った地域は小学校いや、幼稚園から中学校まで 1学年1クラス
クラス替えのないまま10年間を過ごします。
手を打ってこなかったのはお母さんではない。

「週に2回教室に通ってください。地元の公立高校に何とか間に合わせます。」
「R君を任せられる講師がいるので、引き受けましょう。」
当時、サルベージを専門的に担当する学生スタッフ Yがいて、
Rの担当はYに任せることにしました。
Yは入試で点数を重ねられそうな部分を5教科から探しながら勉強を進めました。
読める漢字、書ける漢字を増やすこと、アルファベットを正確に素早く書けること
整数の四則演算、特に繰り下がりの引き算を復習すること。
そして、二百字の作文を徹底的に練習することなどでした。

YはRの書いた作文をその都度見せに来ました。
Rの人柄に最初に注目したのはYでした。
「字は間違えるけれどRはいい文書きますよ。あいつすごくイイヤツですよ。」
Rが書く作文には誠実な人柄が溢れていて、心にストンと落ちる納得が有りました。
「Rくん!この字は違うし、ここ一ます開けてから書こうよ。
 でも中身はすごくいいよ。また次楽しみにしているから・・・」
と話しかけると、少し恥ずかしそうにモジモジしていました。

次第に表情が明るくなってきて、それと共に解ける計算問題も増えました。
模試の5教科合計点も2桁から3桁になり、地元の公立高校に進学できました。
Rの合格は、とりわけ教室のスタッフたちの喜びでした。
たった半年弱でしたが、Rの誠実で真っ直ぐな人柄 に惚れていました。

彼のことを思い出したのは、当時私が抱いた怒りを最近もまた感じたからです。

Rをあんな状態のままにして、手を打ってこなかった人たちがいる。
当時はそれが驚きと怒りでした。
おとなしくて、不満も言わないから、教室の中で見過ごされてきたのでしょう。
「この子はくり上がりの足し算と、繰り下がりの引き算が苦手です」
「九九が不安定です 」
「分数の概念が定着していません」
「まじめな子で、支持したことはコツコツと続ける忍耐力はあります。」
「毎日練習させてください」
などなど、学年から学年へ申し送りができていれば、
中3になって、母の目の前で「算数」がわからないことを暴露されることはなかった。

なぜ見過ごされたままなのだろう。

どうせ田舎の学校は定員割れしているのだから、
大して勉強しなくても高校に進学することは出来るでしょ!
そんな慢心が郡部の子供たちの「学びのチャンス」を摘みとっています。

最近、同じような言葉を
被災地の学習支援に取り組み始めた団体のボスから聞きました。
とても残念でした。そんな考えでこれから「施し」に向かうのか・・・

今日は怒りをこめて「勉強しようよ」と呼びかけます。
子どもは生まれる場所を選べないんだ!
私たちが愛情を注いで育ててきた子供たちが 、
悪意はないが、ひどい扱いを受け続ていいのか!
このまま郡部は磨り減るばかりの歯車のような「奴隷」生産地でいいのか!

仮設から塾へ2011年12月21日 00時22分

まなびの森は
毎週金曜日に、山元町の仮設住宅集会所へ塾を届ける「移動教室」を
6月から続けて運営してきました。

凛としてそれでいて暖かい学びの場を、
細川Tがチームリーダーになって創り上げています。

移動教室に加えて、毎週火曜日には、中学3年生を仮設住宅まで迎えに行き、まなびの森の教室で勉強できるようにしています。毎回2名から3名の子供たちが教室に来て、7時から9時半まで、それぞれ黙々と勉強に取り組んでいます。
今日は中学3年生に加えて、1〜2年生も数名まなびの森の教室にやってきました。

普段は細川Tに送迎を任せっぱなしなのですが、今日は車両1台では間に合わないので
3年生の送りを私が担当しました。
角田から小斉峠で経由で坂元の仮設住宅に戻る間、
色々と話しを聞くことができました。

勉強用に机がほしいけれど、 今は置き場所がないこと
家族のために電気を消して 、薄明かりの中で徹夜のテスト勉強をしたこと
高校に入ってからも、火曜日には角田の教室に来たいこと
そして大学まで進学したいこと

ここ数日、支援活動の財源を確保するための活動がなかなか上手く運ばないため、
今日はすっかりへこんでいたのですが、
この子たちを前にしたら、へこたれてちゃダメです。
立ち止まっちゃ駄目だ、あきらめちゃ駄目だ! と決めたのだから、